ブログの中の人を分かりやすくまとめてみた
スポンサーリンク
ブログの中はこんな人と題しまして、僕の自己紹介なるもので僕を知っていただければと思います!
この記事ではこのようなお話をしています。
少しでも理解して、共感していただける点がありましたら、コメント、イイねお願いします!
どんなことをしてきた人なの?!
第一に、社会でいうところのバカで、自慢になる学歴は何1つ持ち合わせておらず、三人兄弟の末っ子として育ててられてきました。
僕の人生を大きく左右した始まりは、高校受験
志望校なる公立高校に入試に失敗し、併願校である私立校に入学、当時の県内では”落ちこぼれが集まる”私立校として有名でした。笑
学生の頃から勉学に励むことはなく、悠悠自適に、好きなことだけをして生きてきた結果、テストで赤点を取らないことを目標に自宅では一度もペンを握らずに学校の授業だけを行っていたような人です。笑
当たり前ですが、授業中も寝ていたので、わからないことばかり、当然赤点も積み重ねます笑
高校時代200万稼いだお金の行方
部活はバイトと考えていたので、赤点を取ってしまうと放課後のバイトに行けなくなってしまう。赤点は僕の死活問題だったわけです。
そう、部活をバイトと呼ぶほどストイックに働いていたので高校時代の3年間で200万円以上を稼ぎました。これは少し自慢!
そんなお金の全てを自分の趣味に全額ツッコミ、進学するときの貯金は0。
もちろん後悔もしていませんが、この200万円が今の自分の土台なるものを作っていると思っています。
これが高校2年生で1から自分で手で作った趣味のバイク。16才で免許を取り、今もまで家にあります。
わかりやすく言えば、この頃からエンジンとなるものまで全て独学で学び、組み立てを行っていたんです。
もちろん一台だけにとどまらず、最終的に3台ものバイクを所有し、現在でも実家の方にペットのように大切に眠っています。
2台目:18才の時
恥ずかしながら、何度か雑誌に掲載していただいた経験もあるんです。。笑
そんなこんなで、ついに高校も卒業という時期が訪れました、この時『やりたいことがない』という壁にぶち当たる経験を初めてするんですね。
高校生の頃は、将来の事考えて行動している人はほんの一握りだと思うのですが、とりあえず”学歴”と言われる社会がこの頃から嫌いでした。
同時にこの趣味が仕事にならないことも当時の僕でも理解はできていたので、どうせなら”好きなことを仕事にしたい”という想いから、この時初めて整備士を目指すことにしました。
後先考えていません。笑
バイク、クルマが好きな人が整備士にはたくさんいらっしゃいます。
高校卒業後にはエスカレーター式で大学進学もできる環境が整った私立校でしたが、大学に行ってもやることがない。。。僕の頭の中ではそれしか考えられず、クルマという新しいことを学び資格を取得するために専門学校の面接を受けることに。そして一発合格!
今思えば、随分イージーだったような気がします。笑
専門学生時代の生き様
初めての1人暮らし、初めての自炊、初めての家事、と初めてづくしを経験した18才。
専門学校に通うことはなんら”苦”ではなかったんですね。
好きなことを学ぶと、楽しくなる。という感覚を初めて経験、体感できたのがこの18才の時、学ぶ楽しさというものを肌身で感じました。
もちろん学生でも自分のクルマを所有し、少しだけ改造?カスタム?していたので、やっぱり普通の車に乗るのでは”つまらない”との想いから学校が終わり家に帰れば、毎日車を触っていたり、ドライブに行っていた記憶があります。
そんなこんなで、入学当初アルバイトしていませんでした。親のすねかじりまくっていたからですね。。笑
ある時、近くのファミレスのバイトに合格し、働き始めたわけですが、皿洗いのフェーズで『汚いから無理』と精神がブロックしてしまい、3ヶ月でやめることに。
初めてファミレスの酸いも甘いも知ることに。。。あれ以降ファミレスにご飯を食べに行った経験はありません。笑
振り返れば、高校時代のバイトは3年間同じところだったので、よっぽど相性が良かったのかなと思いますw
その後、誰もが知っている引越し屋さんで”休みの日を犠牲”にしてフルタイムのアルバイトを始めます。
そんなバイトを2年ほど続けたので、引っ越しに関するノウハウは十分に学ぶことができたわけです。
そんなこんなで、3年が過ぎ卒業。この時21才。
ネットビジネスの話を聞きに行ったり、セミナーに参加したり、競馬をしたり、パチンコ、スロット、女遊びに、悪いこと以外は一通り経験しました笑
都内の良いところは、経験が豊富にできる環境が整っていること。周りにたくさん優秀な人がいることだと思っています。
就職先までレールの敷かれた上を歩んでいた
なーんにも考えていなかった僕は、就職するまでレールの敷かれた上を歩いてきていたんだなと就職するまで気付かなかったんですね。
とにかく就職すればいいやと、思っていたタイプの学生でした。
レールとはつまり、何も考えなくても、方向性が決まっているという意味です。
電車で言えば、右に行けば東京、左に行けば名古屋というものが決まっているイメージです。
就職先はUIで地元(山梨)に就職を決めました。まぁ後にこれが失敗だと気づきます。笑
そして板金整備士として業務に従事、板金整備士とは事故をした車の修復、修理をする人のことです。
そんな生活を1年と4ヶ月続け、組織への飽きと、将来への不満などからトヨタの整備士を退職することを決意。
次の当てがないままの退職。転職先の不安より、現状の環境で働いていることのストレスを感じ、逃げ出してしまった形が正しいのかなと、冷静に考えれば思います。
ここまででお分かりになれるかと思いますが、僕は組織を改善しようと考えなかった、この行動をしなかったことが今一番後悔として残っていることです。
会社を辞めるのは簡単です。
しかし、組織を変えたり、その中で仕組みを変えたりしていくのは難しいわけです。
それをせずに辞めることは誰にでもできた。僕にしかできなかったことは辞める前に組織を変えること。だったんだなと気付きがありました。
退職後の活動
退職後は、一度は転職活動をしました。
内定もいただきましたが、まだどこかに引っかかりがあったんですね。モヤモヤするような感じです。
この時、転職の軸にしていたのが、『頑張った分、結果を出した分、評価されたい』ということでした。つまりお金だったんですね。
そこで、一度自身の棚卸しをしようと内定を蹴って転職活動を辞め、自分が何に幸せを感じ、何をやりたいのか?考えることにしました。
弱みと強みを知らなかった、というよりもそんなこと考えたこともありませんでした。
高校生の頃から好きなことばかりやってきて、就職までレールの敷かれた上を歩んできたわけですから、当然です。
そのレールに乗ってしまえば、自動的に進むべき道へと行ってしまうんですから考えるということをしなくて済んでしまいます。
その結果、後に自分の悩みの大きな種になってしまいました。
無職で現在の収入は?
転職活動を辞め、無職となって半年が経過し、失業保険が給付されているので、そちらからの手当と、若干のブログ収入に加え貯金、働いていた期間に貯めた財形を崩していると行った感じです。
本当にいい家庭に育ったのか、我ながらお金に困ったということが記憶にないんですね。
かと言って、いつまでも甘えている性分ではないので働き初めてからは完全に独立、趣味だった頃のスキルや知識などから、たまに転売などのビジネスを行っています。
このブログの趣旨
このブログから、これまで知らなかった情報というものをキャッチしていただいて、新たな価値を見出してもらいたいと考えています。
つまり、あなたの踏み台になるのがこのブログであり、ステップアップするために必要な情報しか発信しないという軸を持ち発信しています。
誰かにとっては有益な情報も誰かにとっては邪魔となる場合も十分あり得ます。
しかし、たった1人でも書いた記事の本質が届いてくれれば良いと想い発信しています。
書くことに意味はなく、書いた記事を読んだ人がどんなリアクションを起こし、結果行動まで結びつけることができるのか?考えて仮説検証していくことがこのブログの趣旨になります。
長くなってしまいましたが最後までお読みいただきありがとうございました!
おすすめ記事はこちら