自分の課題と他者の課題を区別することは悩みの全てを解消できる
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自分の課題、他人の課題とは、つまり自分が、あなただけが考えるべき問題、その課題の選択によって後の結果が影響されるものを自分の課題といいます。
それらを区別することができないと、人間関係で躓いてしまったり、悩んだりしてしまうわけ。人間ってそういう生き物なんだよ。
人は変わりたがっている、でもなかなか自分を変えられずに悩んでいる。
ありのままの自分でいいと思っている人は少ないね。僕は変わりたいと願っているね。
今の自分があまり好きになれないってことかな笑
この記事は対人関係の悩みを抱えている人に向けて、いまからでも実践できる幸せを手に入れる為の考え方をお話しています。
職場、学校、友人、家族など全てにおいて共通することになる。
今のあなたが何にも悩まず、この上ない幸福を感じているのだとしたらこれを読む必要は全くないと思うよ。
でも、人間関係をより良いものにするためには自分の課題と相手の課題をしっかり理解することができないと、悩みがなくなることはない。
この記事は5分くらいのボリュームになっているから流し読みでもかまわないよ。
この記事で書いていることはコチラ
過去は今を生きるのに関係ない
今日という1日は2度と来ない、ということは言わずもがなだよね。
じゃあ、今日をどう生きるのか?決めるのも自分ってことであっているかな?
1日をどう生きるのか決めるのは自分、何を食べるのも、どこに行くのも他人ではなく君だ。
今日を幸せに生きたいと願うことはみんな同じ、もし今日を幸せに生きたくないと願う人がいれば、教会や生まれたばかりの子鹿を見るといい。
じゃあ幸せってなんなの?って疑問になるから考えたよ、幸せって自分にわがままに生きることだと思うんだよね。
つまり、自分に嘘をつかず正直に生きることだ。
自分にわがままに(正直)生きることが幸せであり自由であり、幸福に繋がる。
ここからはアドラー心理学という哲学に基づいてお話するよ。そう全てはアドラーの哲学のお話ってわけだ。
アドラー心理学とは、自分が変わるための哲学だから、今の自分を変えたいと思っている人に向けて書くね、少し乱暴な言葉になったりしても大目に見て欲しい。
君が5年前にできなかったことを思い出して?、その中で1つでもできるようになったことはあるかな?
車の免許を取得したり、1時間で晩御飯を作れるようになったとか、駅まで歩くのが早くなったとか、ほんとこのレベルでいい。もしバイリンガルになった天才な子が居たら僕にもその方法教えて欲しい。
でもこれら全てが自分の成長なんだよね。変わるための小さな成長ってわけ。
長く捉えれば数年単位かかることもあれば、昨日できなかったことが今日できるようになることもある。
〇〇したい、〇〇食べたい、〇〇欲しい、これら全て人が持つ普遍的な欲求なんだけど、人は欲望の中で生きることが普通だから安心してね。
でも、現実は全てが叶うわけじゃないってことも知っている。失敗もたくさんある。もしかしたら毎日傷つくことがあるかもしれない。
上司に怒られた、先生に怒鳴られた、親にテストの点数で怒られた。告白したけど振られた。
叶えたくてもできなかったことなんていくらでもあるんじゃないかな。
僕は思い出せないくらいあるからそっっと、押入れにしまってある。
例えば、何回転んでも立ち上がり、小さい子供は歩けるようになる、つまり、僕らが大人になっても本質的には何度失敗しても立ち上がり、また挑戦するチカラを持っていると思うんだ。
子供は歩けるようになるまで、何度転んだのかを覚えちゃいない。もし覚えていたら素晴らしい科学者にでもなるといいね。
つまり、昨日転んだ回数よりも今日歩けるようになることの方が子供にとっちゃ大事なわけだ。
僕らはそれらの欲求を、大人になると忘れてしまうと思うんだよね。
言葉を喋ることができない子供は『何かを与えて欲しくても』それを誰かに伝えることはできない。
その中で子供は、親から『与えられたモノ』を食べたり、触れたり、使っていることになるね。
願うものが与えられないけど、子供は今与えられているモノで歩けるようになろうと、変わろうと成長という行動をしているわけだ。
つまり成長するには、何を与えられるかではなく、与えられたモノをどう使うのか?
モノだけじゃない、環境や周りの人、利用できる施設など全ての事だ。
与えられたモノを使うのは自分。本来その与えられたモノから成長していかなければならないわけだ。
つまり、何か与えてくれる人を待っていたり、望んでいたりするといつまで経っても前に進めず、足踏みしている状況になって成長が滞ってしまうから気をつけないといけないよ。
でもね、人はすぐには成長できないし、少しの才能も関係ある。
だから『今日変わりたい』と思わなくてもいい、現実的にも今日いきなり君が変わることはできない。
しかしいつかできるように(変われる)なるには、いまやらなければならないことがあるよ。
そう、現実を変えなければならないわけだ。
子供は現実に歩けるように努力している、その時に何度転けど立ち上がり、与えられているモノで成長しようとしている。ここまではいいかな?
与えられているモノはそれぞれ違うよ、僕が与えられているモノ、君が与えられているモノ、それは職場だったり友人やお金、家や環境含めて全てのモノが違う。
今与えられているモノは、全て過去の自分の結果であり、これまでの努力によって決まっているんじゃないかな?
もちろん家族や生まれ育った環境は君の努力では変えることはできないことだね。
でもねアドラーはこれを否定している。いいかい、過去は関係ないんだ、今を生きるには過去の環境や努力は含まれないと言っているんだ。
なんでかって?
過去の結果は今起きていること(現実)であって、振り返っても仕方がないことで、変えることができないから考えることは無意味としているわけだ。
つまり過去の結果が今なわけで、今の結果が未来であるということになるね。
だから過去のことを思い返して、過去と今を比べては意味がない、過去から更新されたのが今という現実であり、過去を振り返ったところで、今の現実を変えることはできないってことはわかるよね。
じゃあ、過去が関係ないとすれば、今はどうやって変えていけばいいのか?気になるよね。
変われる勇気が必要
君がもし、〇〇だったから今も〇〇できない、と思っている過去があったとしたら、それはアドラー心理学の目的論っていわれる理論に基づくと間違いであり、成長できないでいる原因にもなっている。
例えるとトラウマとか、苦い思い出とかかな?
過去の経験や失敗から生まれている感情や行動を原因論といい、アドラー心理学ではこれを否定しているんだよね。
原因論の反対は目的論で、目的のために作り出される感情や行動になる。
つまり過去は関係ないってことなんだけど。これからわかりやすく話をするね。
好きな子に告白して振られてしまった経験がある君は、また振られるかもしれないという過去の原因によって告白しないという選択を選んだとする、つまりこれは原因論。
告白して結果は振られるかわからない、でも君は振られた時にお付き合いできない現実を避けたい(直面したくない)、だから告白できなくなった、これが目的論になるよ。
違いがわかるかな?もっと噛み砕くね
- 振られた過去の原因によって今の行動を起こすことができないでいる人が原因論
- 振られたことでお付き合いができないという(お付き合いが目的)を避けることが目的になり、告白できないでいる人が目的論
どちらも間違いではない、でもアドラーは原因論を真っ向から否定しているんだ。
もし君が告白できず悩んでいるのだとしたら、ありのままの自分が楽であり、安心できているから、新しい選択をしづらくなっちゃってるんじゃないかな?
新しい選択ができない心理は、不安と恐怖によるものであるということで間違いない。
新しい職場、新しい学校、新しいコミュニティーに入る時に感じるようなものだ。
新しい環境に入る時、少しばかりの勇気を君が持っているからすぐ仲良くなれたり、友達が増えたりできるんだよね。
なかなか馴染めなかったり、うまく関係構築ができない人は勇気がないんだ。
アドラーは、『人が変わるためには勇気が必要である』と言っているよ。
もし〇〇だったら、という『可能性の中に生きているうちは成長することができない』というのはこういうことになるんだけど、まだ腑に落ちないね。
可能性の中に生きると言うことは、つまり誰かに期待をしちゃっているわけだ。
わかりやすく言えば『たられば』かな
〇〇だったら、〇〇してれば
過去や誰かや何かに期待をしていては、君が成長も幸福も自由も得ることはできないとアドラーは言っているんだ。
つまり、変わるためには勇気が必要になるわけだ、でもいきなりバンジージャンプ跳べって言うのは無理があるし、死にたくなる気持ちがわかるから勇気をつけるための方法を教えるね。
課題を理解
君が幸せになり、成長を望むためには自分の課題を理解しなければならない。
課題には2つあって、君が持つ課題と他者が持つ課題になる。
課題とは何か?わかりやすくいえば、あなたが選択したことによってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰なのか?とアドラーは言っているよ。
もう少し踏み込むと人生の課題は人生のタスクとも言われ3つに分けることができるよ『仕事のタスク』『愛のタスク』『交友のタスク』だ。
勇気を持つためにはまずは自分と相手の課題をしっかり区別する必要があるね。
自分の課題に誰か(他者)が介入してくること、他者の課題に自分が介入すること、それら全ては自らの人生を重く暗いものにしてしまうんだ。つまり悩みに繋がるわけ。
このことを課題の分離と呼ぶんだけど、他者と自分との課題を分離することができなければ悩みを解決することはできないよ。
つまり、君が誰かの課題に踏み込むことで1つの悩みになってしまうわけだ。
では、課題についてさらに噛み砕いていくね。
今回は仕事のタスクについて、例えば君が仕事の上司と上手くコミュニケーションをとることができず悩んでいたとする、いつも怒られて、言い方が嫌い、意地悪をされる。みたいな感じ。よくあるよね
そんなある日、上司の指示によって君が行なったがプロダクトが失敗したとする。この時の責任は全て上司にあると君は思った。とするね
『私は上司の指示に従っただけで、行動しただけ、だから私は悪くない。』そう思った時、君の課題は、失敗によってどのような行動に移るのか?という選択をすることだ。
例えば『謝ってもう一度やり直す』『上司のせいにする』『原因を突き止め再発防止策をとる』などがそれにあたるね。
この場合、上司の課題はなんだと思う?
『部下である君を叱る』『責任を取って一緒にやり直す』『君をプロダクトから外す』などが上司の課題にあたるわけだ。
もし、君がプロダクトをやる前に、『以前も失敗し、怒られたからやりたくない』と思いプロダクトに手を出していたらそれは原因論になるね。
目的論の場合はこうだ『失敗したら上司との関係がもっと悪くなるのが嫌だから』と思いプロダクトに手を出していること。
でもどうだろう。。何かおかしくないか?
君が『上司に怒られること』は君が決める課題ではないんじゃないか?『怒る』という選択をするのは上司のはずだ。
プロダクトに手を出した瞬間、君の課題はプロダクトを成功させるために行動することだよね?
失敗した後の事を考える事はあまりにも意味がない事だと思わないかな?
君は上司が怒ること(相手の課題に介入)ことを目的論、原因論によって、自分の課題をしっかり理解できていない。ということになるんだ。
もし失敗してしまった時に『怒ること』を決めるのは相手の課題なわけだ、君の課題は『失敗した時にどのような行動に移すのか?』ということになるよね。
ということは君が他者の課題(今回は怒ること)に介入することで、君に1つの悩みが生まれることは理解できたよね?
仮に、失敗したが上司に怒られず褒められたら、君はどう思うだろうか?
以前の失敗から学び『今回はより一層頑張ったが失敗した』『再発防止策を講じたが上手く機能しなかった』ことが上司に伝わっていれば、上司は君を怒れないだろう。悪魔は別かもしれないけど
つまり、行動した結果、相手がどのような行動に移るのか?考えること『課題に介入』することで、本来の自分の課題を見失ってしまったり、目的を達成できず悩みを抱えてしまうことになるわけだ。
もうわかってくれたかな?
課題の分離とは、『自分が信じる最善の道を選ぶこと』その選択によって他者(今回は上司)がどのような評価(今回は怒る)を下すのか、他者の課題であってどうすることもできないわけだ。
この課題の分離は悩みを解決するための入り口になるわけなんだけど、その続きはご飯食べた後にするね。
まとめ
悩みは全て対人関係によるものである。という言葉をここではまだ理解することはできないかもしれない。
もし君が対人関係の悩みを解決したいと願っているのであれば、僕はアドラー心理学の教科書を読むことを強く進めたい。
悩みがない人はいない、君が宇宙でたった1人の人間なら、なんの悩みもいらないし言葉も必要ないことになる。
悩みをなくすためには対人関係をもっと学ぶ必要があるから、僕ももう少し勉強してくるね。
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