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『書評』イノベーションが起こらない日本は『天才を殺す凡人』が多いからだ

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YouTubeTwitterFacebookTikTokなど、今に日常に使われているソーシャルメディアのほとんどは日本から生まれていない。これは紛れもない事実だ。

 

イノベーションが日本から生まれない理由には義務教育が深く大きく影響していると思っている。

 

きっとこれから先も革命的、革新的なサービスが日本から世界中に広まっていくのは厳しいのではないだろうか?僕はそんな気がしている。

 

だって天才を殺すのは凡人なのだから。その凡人は義務教育によって大量生産されてしまうのだ。

 

日本では今、企業が経営体制が大きく変化している。そう高度経済成長期から会社の旗振りしてきた天才経営者に変わり秀才と呼ばれる、エリートに旗振が変わろうとしているわけだ。

 

しかしいつだって、天才を救うことができるのはエリートではなく凡人、一変なんの才能もないような凡人が天才を救うことができるというお話になる。

 

書評、この記事では天才を殺す凡人に書かれていることと、それらの本質が他の書物と同義に述べられていることをお話していきます。

 

この記事で書かれていることはコチラ

 

三者の関係性

 

生きていく上では避けては通れないのはコミュニケーション。つまりは言葉であり、書き言葉や話し言葉である。

 

しかしどれだけテクノロジーが進歩しても心だけは目に見ることができない。言葉や文字から相手が何を感じ、どう思っているのか?という感情だ。

 

自分が『思っているコト』を相手に伝えることが得意な人、下手な人、苦手な人それぞれいると思う。ちなみに僕は苦手なタイプ。

 

自分の想いや新たな企画をどれだけ正確に相手に伝え、共感させ、熱狂に巻き込むことができるのか?新しいプロダクトやイノベーションを起こすためには、人を動かすことが重要なマストになる。

 

しかし、自分の気持ちや考えを言語化し相手に伝えることは非常に難しいことで、再現性がなければ納得して巻き込むことができないんだ。

 

イノベーションを起こす天才は再現性に欠けている、、思いつきや頭でひらめいたアイディアによって生み出されるプロダクトを、みんなにうまく伝えることが天才は苦手なんだ。

 

世の中には大きく3種類の性格を持った人が存在する。

 

『天才』『秀才』『凡人』すべてが普通の人間であり、特別な生き方をしているわけではないから安心して欲しい。

 

この三者が会社組織や、社会では混ざって活躍しているんだね。これからそれらの関わりについてお話していくよ。

 

天才はいわゆる、イノベーションを起こす人、わかりやすくいえば起業家だったりするね。秀才と対立した意見になることが多く、天才が秀才を上手に納得させられるのかによってその後のプロダクトが大きく変化してくる。天才と秀才は非常に仲がいいか最悪に悪い。そして天才は凡人の気持ちを理解している。

 

秀才はエリートサラリーマン、高学歴で数字には強い人、法律をきっちり守り法律のなかで生きるからロジックが全てと考えるような人。わかりやすく言えば学歴主義みたいな感じかな。天才の言っていることに理解はできるが、ロジックがないため共感できないことが多い。

また凡人を見下してしまう傾向がある。秀才は天才を尊敬しているが同時に嫉妬している。その嫉妬を克服できた秀才が活躍している会社の経営者(天才)は恵まれていると思う。

 

凡人は普通のサラリーマン、例えば営業職だったりするね、相手に共感したりするのが上手な人、そして共感を活かせる仕事をしている人だったりする。まぁ最も一般的と呼ばれる人たち。

凡人は天才の考えや言っている意味があまり理解できない。でも天才にはない共感性を凡人は持っているから、仲間意識が強い。そのため周りの意見に流されたり、自分の意思で行動出来ないことが多い。

 

この三者のタイプの中で違うことは日常的に使う『言葉』になってくるよ。

 

日常で使う主語の違い

凡人が使う主語

 

凡人は『自分や私』『あなたや我々』のようなチームなどを主語に使い言葉を話す、僕は〇〇だと思う。あの人は〇〇だったみたいな感じがわかりやすいかな?

 

そして感情で物事を判断してしまう。なので共感の中に生きる生き物と呼ばれる。つまり、自分が、あの人が、『〇〇を好きか嫌いか』で何かを決める感じね。

 

『あの人が◯◯だから私も〇〇が好き』のように、中学生のいじめに近いかもしれないね。

 

僕はこの表現に妙に納得させられた。みんながやっていることが正しい。、義務教育そのものがタネになっているんじゃないかと思う。。

 

秀才が使う主語 

 

秀才は組織やルールを主語にする、例えばこの会社は〇〇だから、、こうするのが正しい、こうした方が会社に利益が出ます。みたいな善悪で判断する。

 

法律や善悪で物事を判断する基準を持っているから『好きか嫌いか』で判断してしまう凡人と仲が悪いのはその為なんだ。それに秀才は共感性もない。スーパーエリートは仕事が終われば定時でそそくさと帰っていく。

 

秀才が凡人のことを見下してしまうのは、この主語『軸』の違いが生んでしまっているわけだ。

 

凡人は自分やあの人(個人)のため、秀才は会社組織(チーム)のため。

 

しかし、秀才の中には『共感性』を持ってる人がいる、俗に言う面倒見のいい先輩良くできる手本となる人がわかりやすい。

 

一部の共感性を持つ秀才は『モテる』。女の子だけではなく、男からも人気のある秀才は会社でも憎む人があまりいない。 

 

天才が使う主語

 

 

天才は世界観や心理を主語として話す、天才にしか見えない世界観や存在があり、それは言葉で再現できないものが多かったりする。言い換えれば創造性だ。

 

創造性は天才が持つ才能であり、それを表現することは極めて難しいね。

 

さらに天才は再現性がない弱点を持つから、自分のアイディアを秀才や凡人に理解させるのが困難なので、ここでつまずいてしまうと革新的なイノベーションが起きないというわけ。

 

どう納得できそう??

 

秀才は小利口だから目に見えるもの(数字とか過去のデータ)しか信じない。

 

でも天才は目に見えない(アイディア)を相手(秀才)に伝えなければならない。

 

天才は創造的なアイディアを生み出すけど、それは”定義することができない”ものなんだ。つまり目に見えたり形にできないものなわけだ。

 

この壁を乗り越えただけ新しいサービスが日本からも生まれていることになるよ。

 

これらの三者が使う言葉も、共感性、創造性、再現性も全て才能というわけで、その自分の才能をしっかり理解しなければ組織の中で活躍することは難しくなってしまうんだ。

 

そして、その才能は君だけの武器でもある。

 

経営の意思決定は多数決を軸にしてはならない

 

この本の本質である『天才を殺す凡人』という言葉はこのタイトルに尽きる。

 

当たり前のことだが圧倒的に、天才<<<<<<<凡人の方が人数が多い。

 

ここで多数決をやったらどうなるだろうか?そう、凡人が勝ってしまうわけだ。そうするとどう?

 

イノベーションは凡人によって殺されてしまい、世の中に出てこなくなってしまうね。

 

でもどうだろう、”凡人が多いから”多数決で判断しちゃいけないわけじゃないんだ。凡人は共感性で簡単に評価を変えてしまう、だからダメなんだ。

 

わかりやすく言えば、なんとなくで判断しちゃう人。あの人も手を上げていたから、私も。。みたいな感じね、

 

共感を軸にしたコミュニケーションは最強に強い、しかしこのようなリスクも存在していることを忘れていけない。

 

このなんとなくで経営を意思を決定しちゃいけないし、判断材料にしてはならないということになる。

 

イノベーションの定義 

 

そもそもイノベーションってなんだっけ?君はそんなこと思っていなかったかな?

 

イノベーションが起きる場所にはいつだって『組織の飽き』『世の中の余白』が存在しているんだ。

 

それが革新的な事業を生みイノベーションを起こす引き金になっている。

 

組織の飽きって、会社がつまらない!みたいな感じ、学校の授業がすでに理解しているからつまらない!みたいな感じのことね。

 

つまり、古いことを(復習)いつまでもやっていたり、時代に沿わない方法をしていると『飽き』が生まれ、その飽きてしまったことにより、天才が新しい革新的なサービスを生み出すきっかけになったりするんだね。

 

天才にとって『飽き』はとてつもない苦痛だ。だから小学校でも消しゴムのカスを投げたり、隣の女の子のお尻を触ったりする男子が多いんだ。ちなみに僕は凡人だけど、どっちもやっていたよ!

 

じゃあその天才を殺すのは誰か?

 

そうだ、先生だ。みんなと同じようにしなさい。っていうあの先生

 

これが義務教育でイノベーションを生むはずだった少年の芽を咲かせることができないまま、凡人を量産してしまっている原因だと僕は思っている。

 

凡人が悪いわけじゃないよ!!←ここ大事

 

イノベーションにはエリートマンが必要

 

天才は飽きの中では生きてはいけない生き物なんだ、天才にとっての活力は好奇心であり探究心だから、とにもかくも創造的な中で気になったらなんでもやってみる性分だ。

 

でもそうすると必ず失敗する、あれやこれや何千回も挑戦し失敗した中の1つだけがたまたま成功し、そこからエジソンが発明した蓄音器のようなインーベーションが誕生する。

 

しかし、秀才は違う、科学の中で生きているって話は覚えているかな?科学の良いところは『検証可能である』ことなんだ。つまり科学は再現できる。

 

秀才は勉強熱心だから科学を知っている、でも勘違いもしてしまっている。

 

その科学は天才によって作られているからね。

 

AとBを混ぜればXが生まれるというロジックを発見するのは秀才ではなく、幾度も失敗を繰り返してきた天才なんだ。

 

Xという”答え”を手にするために、ZやYやMのような失敗を経験している感じね。

 

と言うことは、秀才は科学という教科書(答え)しか知らないわけだ、ここで失敗した経験がないってロジックが成り立つよね。

 

こうしてイノベーションは、天才と秀才の才能を併せ持つエリートスーパーマンによって実現されていくことになる。

 

エリートサラリーマンはもうわかるよね。。20代で取締役をやっていたりするような、早熟タイプの人だ。

 

自分の才能を理解し、その中で武器を上手に使える人。その支え無しには誕生しない。それがイノベーションなんだ。

 

まとめ

 

そろそろ長くなってしまったので、終わりにするね。

 

才能と武器の話だ。本文中で最後に語られていることがある。

 

才能があっても武器を鍛えなければ世の中に才能を認知できない

 

僕らは自分の才能をしっかり理解した上で、『強力な武器』を鍛える必要がある。

 

強力な武器とはなんだろうか?

 

例えば小さな子供はまだピアノを引くことができない。なぜなら、弾き方も未熟であれば、音色を奏でるスキルも才能もあるかわからない。

 

しかし、努力することによって一曲を演奏できたり、コンクールで優勝できたりする。

 

つまり、自分の才能を世の中に表現しやすい方法が武器になるわけだ。

 

だからこれを読んでいる君には自分の才能をしっかり理解した上で強力な武器を鍛えて欲しい。鍛えなければ武器にはならない。

 

才能の有無に執着せずに、自分のストッパーを外し、配られたカードを恐れずに使おう。

 

カードは武器だ、いつまでも出し続けよう。恐れず使おう。

 

そうすれば過去最高な自分に巡り会うことができる。

 

今回の書評はこちらの”天才を殺す凡人”から

 

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